domenica 23 ottobre 2016

自然なワインの規定づくりは必要か?

ワインに関する規定ははるか昔からあり(プリニウスやコルメッラの著作など)多くの歴史的文章にその記述が見られる。
過去3世紀様々な基準が徐々に制定され定期的に改正されてきた。前世紀において世界のいたるところでワインとぶどう、ワインづくりに関すること細かな法律が制定されてきた。このために(大学や研究所、個人企業など)高等研究機関が様々な地域に設立され生産者やワイン業界に多大な貢献をもたらしてきた。
多くの研究成果を整理するための強固な組織づくりや、外部との比較のため国や地方自治体の関与が必要となり世界的に信頼さる国際機関O.I.Vが生まれるに至った。ここまでの道のりはすでに終わった研究でも今後行われる研究の信頼性と重要性を担保するにあたってもとても重要である。
ワインに関する法律は微細なところまで定められており自然なワインの規定について語る際にも完全に無視することができるものではない。
自然なワインの世界に入るにはそれに相応しい専門性を有しこの世界での長く豊富な経験を有する人々からの有益な協力が必要だ。
人類はその歴史の中で絶えずぶどうを栽培しワインはいつも人と共にあり、事実、自然なワインは農業の歴史と共にあった。これはなにもワインがいつも美味しいものであったということではなく、大多数のそれには熟成に向かないことも含めて多くの欠陥があった。農民のワインと言われる類のものは欠点ばかりで良いところは殆どなく、上手にワインを作れるのはごく僅かな生産者だけだった。
その後技術的科学的な知識によってワインの品質が飛躍的に向上したものの、残念なことにその知識とテクニックが濫用され、輝かしいワインの歴史には似つかわしくない造られたワインを濫造する輩も出てきてしまった。
ワインづくりに関するどんな規定であってもまずはどこでどうやってぶどうが栽培されるのか」から始まらなければならない。そして細かな栽培方法や最も重要な点である収穫時期の決定も含めて詳細に検討がなされなければならない。
さらに重要な点はぶどうはワインを作りその品質に全責任を負う生産者の畑で作られたものだけが使われるべきで買いぶどうなど論外という事だ。


芽吹き:毎年の希望のとき

最近の自然なワインは徐々にこの定義から離れつつあり、科学的裏付けがほとんどないに等しいにもかかわらず普通の言葉となり、より分かりやすく市場でも受け入れやすい言葉で語られるようになった。
今日私たちの暮らす世界は常にニュースを求め、本質を追求することも真実を探ろうともしない世界だ。このような状況下では、短期的には人気を博すだろうが中期的にみると害をなすこととなる。自然なワインの世界の将来に必要なのは確固たる基盤と生産者の誠意だ。今こそすべての利害関係を超えて、特にワイン流通に関しては、少数の(自分たちが属する生産者グループだけの)ことを考えるのではなく自然なワインの大きな流れ全体を止めぬように話し合う時なのだ。

例えば、重要かつ急を要する案件として揮発酸含有量の基準改定が挙げられる。現在は定められている低すぎるほどの揮発酸含有量は時に多量に添加され表記されないことすらある有害な亜硫酸の使用が前提で決められている。今日自然なワインの多くは世界中のワイン法の揮発酸基準量を上回っており不法な状態だ。
これは基準改定において重要な一歩でありそのための努力が必要なのだが、ワイン全体のバランスの範囲内であれば揮発酸量はワイン自体の欠点とはならないことを科学的に証明する事が必要とされる。さらにこのテーマは自然なワインを作るのは決して簡単なことではなく、それが可能な品種を選定し、それができる条件、環境下でのみ出来るということの証左となろう。

これらと、またその他の理由から個人的イニシアチブで提案されるような即興的なものではなく確固たる科学的裏付けのある、信頼出来る機関が提言する自然なワインに関する規定と基準作りが喫緊の課題だと考えるのである。


ロレンツォ コリーノ

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